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「コロッサル・ニュース」は、映画であるのと同時に、実は、建築そのものではないか。拝啓に建築が映っているのでなく、もっと直接的、常に建築の中にあるように感じられる。それはペドロ・コスタの空間が「闇」を前提としているからだ。この闇があたかも厚みのある物質のように存在することである。人間も事物も建築も、なにもかもが「闇」を素材とした物質であり、光はむしろ、その存在かすかにしらせてくれる痕跡なのだ。・・・・・・まさしくサウンド・オブ・サイレンス的世界
ぼくのテーマソングが・・・・・・
全米1位・・・・・・・ サウンド・オブ・サイレンス

ハロー ぼくの古い友達 暗闇よ
また君と話にきてしまった
ボンヤリした幻影ががそっとやってきて
ぼくが眠っている間にその種をおいていった
そのまぼろしはぼくの意識に宿り
今も静寂の音の中で動かない

安らぎのなき夢をまどろみながら
玉石をしきつめた狭い道を一人歩いた
街灯のほの明かりの下を
冷気と湿気に衿をたてて
ネオン・ライトの閃光がぼくの眼を射るとき
夜は引き裂かれ ぼくは静寂の音に触れる

裸電球の明かりの中にぼくは見た
1万人か、もっと沢山の人々を
話すことなくしゃべり
耳をかたむけることなく聞き
けして歌われることのない詩を書く人々を
誰も静寂の音を呼び覚まそうとはしない

「おろかもの!」とぼくは言った
「君たちは何もわかっていないのだ、がんのように身体をむしばむ静寂を」
「君に教えるぼくの言葉を聴くのだ、君にさしのべるぼくの腕をとるのだ」
だけどぼくの言葉は、音もなくおちていく雨の雫 
そして静寂の井戸の中で木霊するだけ

ぼくの意識の中に宿ったもの
それが笹リンドウかもしれない