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たいへんな事になりました。仏教導入で仏の前では、皆平等である。そして国民的人気も高く、皇室要でもあった、聖徳太子【皇太子】が、女帝より先、いってしまいます。病床に、推古天皇は、敏達天皇の孫である、田村皇子を招き「天皇の仕事は、たいへんなものである。行動を慎む事。そして軽々しく言動を発してはいけません。」といいました。その後、今度は、山背皇子【聖徳太子の子】を呼び、「お前もまだ若いのだから、あれこれ自分の気持ちをそのまま言っては、いけない。皆の言うことを良く聞くこと」といいました。そして、日本史上、その職務をまっとうした偉大な初代女帝は、亡くなります。二人の皇子は、それぞれ先帝が、自分を後継者に指名したのだ、と主張しました。(皆様・・・・どうおかんがえでしょうか?)
しかし、山背皇子を強く押す馬子の弟、摩理勢が、蘇我宗家と対立し、殺害されるにいたり、群臣は一気に田村皇子の方に流れ、この日のうちに即位したのが、第34代、舒明天皇です。ひさびさの、蘇我氏の血のもたない天皇の出現です。しかしそれでは、蘇我宗家(蝦夷)は影響力を行使しにくいので蘇我稲目の地を引く皇女(はじめは、高句麗王妃)、父は、敏達天皇の子、押坂彦人大兄皇子の子・茅渟の長女。母は、吉備姫王。宝皇女を皇后に迎えることになりました。天皇と宝皇女の間には二人の息子(天智、天武)と一人の娘(孝徳天皇妃)がうまれます。この宝皇女が日本で初めて、2回も帝位についた、あの皇極天皇=斉明天皇なのです。わたくし事でたいへん恐縮ですが、なぜ皇極天皇は、元善光寺の御本尊を現在の長野市に遷座したのだろうか・・・・・・・・?ちなみに元善光寺は、推古天皇10年に、たてられた・・・・・ん〜ん・・・・・