私の持病(パーキンソン病)
私は31歳の時この病気に罹りました。病歴は17年間になります。当時、左手が少し震え、体全体の筋肉が固いなあ。少し歩きにくい。異常に汗を掻きやすい。午前中は動けるけども午後になると動きが鈍くなる。夕方になると、電池の切れたロボットのようになる。これは、おかしいと思い家庭の医学でみてみたら、なんかパーキンソン病にぴったり当てはまるではないか。よくよく読んでみると、日本の難病特定疾患にあてはまり、現代の医学では、完治しないと書かれており、ほおっておくと、どんどん進行して将来は動けなくなり寝たきりになり死にいたる。と書かれていたのを覚えている。それで、北里メディカルセンター病院に1か月入院して精密検査をうけたところ、やっぱりパーキンソン病だった。先生は、昔は不治の病で大へんな病気だったが、今はいいお薬があるから大丈夫だよと言って励ましてくれた。パーキンソン病といわれたとき自分でも覚悟はしていたけれどもショックは大きかった。これから一生薬を飲みつずけることになる現実を受け止めパーキンソン病と上手に付き合っていかなくてはならないことに将来への不安は大きく、夢とか希望といったことは頭から吹っ飛んでしまった。
当時、仕事は三和ホーム(株)というハウスメーカにいて、千葉県の幕張メッセ住宅展示場で営業のチームリーダをやっていたが、1か月も休んだものだから解雇されてしまった。その後、仕事はハウスメーカーの営業と教育関係の会社を転々として、とうとう3年前薬の副作用による幻覚が出てしまい仕事をやめた。パーキンソン病の薬も種類を変えた。シンメトラルとカバサールとセレギニン(FP)をやめ、ビーシーフロールとコムタンとレリーフに変えた。メネシットはつずけて服用した。幻覚で夜眠れない日が何日もつずいた。その間、一日中ボーとして、現実なのか幻覚なのか分からない日つずき、精神系の症状が出て済生会病院に6か月入院した。その幻覚にはストーリーがあり、外部の何者かの指令が飛んできて幻覚が現実とところどころ一致して押し問答が始まるのである。何しろ自分のベッドにインドネシアの大統領が寝ているのである。この引き金になったのが45年前から当家にあるこの壺である。この壺は45年前、東京都新宿区にあった国会議員の母屋の解体工事を私の父がしたとき見つけて、その時はただのきれいな壺だからこわすにもったいないので、たまたま私の母が家に持ち帰ったものである。3年前までは、庭の空に雨ざらしにしてあった。ところが3年前、何でも鑑定団に柿右衛門特集をやっていた時にそういえば、家にも白い壺があったと言って、庭の埃のかぶった壺をきれいに洗ってみると、鳳凰が2羽、その真ん中に餌箱と思った長方形の真ん中上半分が赤色をしていて、その反対側に何やら英語が書いてある。プ、プレゼントじゃなくてプレジデント スカルノとかいてあった。じゃあ餌箱と思ったあの長方形は、そうインドネシアの国旗だった。この壺のおかげで本当にど壺にはまった。一時は、ストーリーの中でインドネシアに招待されてその条件が、この壺の献上と日本の天皇を初代神武天皇から124代今上天皇まで暗記していること、指令を受け紙に書いて覚えた記憶がある。幻覚は、その後もつずき、埼玉パーキンソン病友の会が出てきたり、清和源氏が出てきたり、興福寺の大乗院が出てきたりいきなり時代が飛鳥時代になったりして、女帝がでてきて、外部からいろいろな指令が飛んできて、押し問答がはじまるのである。この幻覚は、済生会に入院して熟睡できるようになって止まった。やっと指令と押し問答から解放された。
解放されたかと思ったら今度はすくみ足がひどくて、病院内を歩行器をつかんで立っているのがやっとだった。その時はこのまま自分は車いすになってしまうのかなあと思った。歩行器の生活は1か月つずいた。この膝のがくがくはパーキンソン病だけではないぞと思い、入院でももの筋肉が弱っているからではないかと考えた。これは私の考えが的中した。毎日太ももの前の筋肉を鍛えた。すると膝のがくがくがなくなり、歩行器がなくても歩けるようになった。しかし、薬が切れてOFFになると今でも足が重くつんのめることはある。パーキンソン病は、精神面かなり影響が大きい病気だと思う。
今現在は神経内科のパーキンソン病の病院と精神科の病院の2つの病院に通っている。本当にこの病気は不思議な病気で、薬がONのときには、普通の人とかわらないけども、薬がOFFになると動くのが本当にたいへんです。歩いている時けんちょにそれが表れます。今悩んでいる事は、就労の問題です。後15年は働きたいです。現在は中野の全国パーキンソン病友の会事務局に週2日(月)(木)と通っています。時給600円なので、とても生活にゆとりはありません。1日でも早く定職に就きたいです。3年前、済生会病院退院後、母校の大学に課目等履修生として、1年間通い教員の免許を取りました。工業高校建築の先生の免許です。今年はダメでしたので来年また頑張ります。
世界には、パーキンソン病の著名人として、元ヘビー級のボクシングのチャンピオン、モハメッド・アリ、俳優のマイケルジェーフォクス、政治家アドルフ・ヒットラー、毛沢東がそうです。日本では、岡本太郎、三浦綾子、江戸川乱歩、エイロクスケがそうです。 最後に、日本全国に12万人以上いると言われているパーキンソン病、少しはご理解していただけましたでしょうか。皆様のお近くにもこのような病気の方がいるかもしれません。いらしゃいましたら是非声をかけてあげて下さい。そうして、全国パーキンソン病友の会に入られるようにすすめて下さい。一人で悩むより多くの仲間の存在を肌で感じていただければ、今後の生き方も少しは変わってくかとおもいます。よろしくお願いします。
ロト6予想鑑定
私は31歳の時この病気に罹りました。病歴は17年間になります。当時、左手が少し震え、体全体の筋肉が固いなあ。少し歩きにくい。異常に汗を掻きやすい。午前中は動けるけども午後になると動きが鈍くなる。夕方になると、電池の切れたロボットのようになる。これは、おかしいと思い家庭の医学でみてみたら、なんかパーキンソン病にぴったり当てはまるではないか。よくよく読んでみると、日本の難病特定疾患にあてはまり、現代の医学では、完治しないと書かれており、ほおっておくと、どんどん進行して将来は動けなくなり寝たきりになり死にいたる。と書かれていたのを覚えている。それで、北里メディカルセンター病院に1か月入院して精密検査をうけたところ、やっぱりパーキンソン病だった。先生は、昔は不治の病で大へんな病気だったが、今はいいお薬があるから大丈夫だよと言って励ましてくれた。パーキンソン病といわれたとき自分でも覚悟はしていたけれどもショックは大きかった。これから一生薬を飲みつずけることになる現実を受け止めパーキンソン病と上手に付き合っていかなくてはならないことに将来への不安は大きく、夢とか希望といったことは頭から吹っ飛んでしまった。
当時、仕事は三和ホーム(株)というハウスメーカにいて、千葉県の幕張メッセ住宅展示場で営業のチームリーダをやっていたが、1か月も休んだものだから解雇されてしまった。その後、仕事はハウスメーカーの営業と教育関係の会社を転々として、とうとう3年前薬の副作用による幻覚が出てしまい仕事をやめた。パーキンソン病の薬も種類を変えた。シンメトラルとカバサールとセレギニン(FP)をやめ、ビーシーフロールとコムタンとレリーフに変えた。メネシットはつずけて服用した。幻覚で夜眠れない日が何日もつずいた。その間、一日中ボーとして、現実なのか幻覚なのか分からない日つずき、精神系の症状が出て済生会病院に6か月入院した。その幻覚にはストーリーがあり、外部の何者かの指令が飛んできて幻覚が現実とところどころ一致して押し問答が始まるのである。何しろ自分のベッドにインドネシアの大統領が寝ているのである。この引き金になったのが45年前から当家にあるこの壺である。この壺は45年前、東京都新宿区にあった国会議員の母屋の解体工事を私の父がしたとき見つけて、その時はただのきれいな壺だからこわすにもったいないので、たまたま私の母が家に持ち帰ったものである。3年前までは、庭の空に雨ざらしにしてあった。ところが3年前、何でも鑑定団に柿右衛門特集をやっていた時にそういえば、家にも白い壺があったと言って、庭の埃のかぶった壺をきれいに洗ってみると、鳳凰が2羽、その真ん中に餌箱と思った長方形の真ん中上半分が赤色をしていて、その反対側に何やら英語が書いてある。プ、プレゼントじゃなくてプレジデント スカルノとかいてあった。じゃあ餌箱と思ったあの長方形は、そうインドネシアの国旗だった。この壺のおかげで本当にど壺にはまった。一時は、ストーリーの中でインドネシアに招待されてその条件が、この壺の献上と日本の天皇を初代神武天皇から124代今上天皇まで暗記していること、指令を受け紙に書いて覚えた記憶がある。幻覚は、その後もつずき、埼玉パーキンソン病友の会が出てきたり、清和源氏が出てきたり、興福寺の大乗院が出てきたりいきなり時代が飛鳥時代になったりして、女帝がでてきて、外部からいろいろな指令が飛んできて、押し問答がはじまるのである。この幻覚は、済生会に入院して熟睡できるようになって止まった。やっと指令と押し問答から解放された。
解放されたかと思ったら今度はすくみ足がひどくて、病院内を歩行器をつかんで立っているのがやっとだった。その時はこのまま自分は車いすになってしまうのかなあと思った。歩行器の生活は1か月つずいた。この膝のがくがくはパーキンソン病だけではないぞと思い、入院でももの筋肉が弱っているからではないかと考えた。これは私の考えが的中した。毎日太ももの前の筋肉を鍛えた。すると膝のがくがくがなくなり、歩行器がなくても歩けるようになった。しかし、薬が切れてOFFになると今でも足が重くつんのめることはある。パーキンソン病は、精神面かなり影響が大きい病気だと思う。
今現在は神経内科のパーキンソン病の病院と精神科の病院の2つの病院に通っている。本当にこの病気は不思議な病気で、薬がONのときには、普通の人とかわらないけども、薬がOFFになると動くのが本当にたいへんです。歩いている時けんちょにそれが表れます。今悩んでいる事は、就労の問題です。後15年は働きたいです。現在は中野の全国パーキンソン病友の会事務局に週2日(月)(木)と通っています。時給600円なので、とても生活にゆとりはありません。1日でも早く定職に就きたいです。3年前、済生会病院退院後、母校の大学に課目等履修生として、1年間通い教員の免許を取りました。工業高校建築の先生の免許です。今年はダメでしたので来年また頑張ります。
世界には、パーキンソン病の著名人として、元ヘビー級のボクシングのチャンピオン、モハメッド・アリ、俳優のマイケルジェーフォクス、政治家アドルフ・ヒットラー、毛沢東がそうです。日本では、岡本太郎、三浦綾子、江戸川乱歩、エイロクスケがそうです。 最後に、日本全国に12万人以上いると言われているパーキンソン病、少しはご理解していただけましたでしょうか。皆様のお近くにもこのような病気の方がいるかもしれません。いらしゃいましたら是非声をかけてあげて下さい。そうして、全国パーキンソン病友の会に入られるようにすすめて下さい。一人で悩むより多くの仲間の存在を肌で感じていただければ、今後の生き方も少しは変わってくかとおもいます。よろしくお願いします。
ロト6予想鑑定