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めざせ、理想のささりんどう

2008年06月

isp細胞研究の特許

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さまざまな臓器や組織に変化する新型万能細胞(ips細胞)を、再生医療や、新薬につなげるかが、研究成果の産業応用がかかせない。それには、特許など知的財産の確保が重要だ。研究とともに激しくなるips細胞の知的財競争をリポーとする。
京都大学は先月、金融3社とともに、山中伸弥教授が開発したips細胞の特許管理会社を設立すると記者会見で発表した。isp細胞の研究成果をスムーズに産業界へ技術移転するのが狙いだ。週内にも会社の詳細を公表する。





数多くの少年少女に知恵と勇気をあたえることが・・・・・・・

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ピート・グレイ選手は、1942年のカナダ・アメリカ野球リーグで、
42試合で打率3割8分、見事 打率トップを記録しました。
その2年後、1944年にサザン・リーグの選手としてプレーした時には、
ホームランを5本、盗塁68回を記録して、リーグの最優秀選手に選ばれました
その結果、翌年1945年にセントルイス・ブラウンズの
選手になることができたのです。
一見、どこにでもある一流プレイヤーのお話ですよね。
今で言えば、松井選手やイチロー選手といったところでしょう
こうした記録だけを見ても立派なものだと思います。
しかし、何よりも驚くべきことは、
この彼の運動神経や記録ではありません。

実は…

彼が【 片腕 】の選手だったということです。
両腕を使いプレーする野球選手が99%の中、
彼は腕一本のみでスター選手になっていたのです。
想像できますか?
もし自分が腕一本のみで野球をする姿を…
何万人もの観客に見つめられる中、
150キロの速球を打ち返すイメージ…
片腕で取り、直ぐに投げ返す動作を…
なかなか出来ないと思います。
しかし、彼は一流選手になったのです。
私は、あまり野球に詳しくないので、ピート・グレイ選手の名前を
この時初めて知ったのですが、【 片腕 】の大リーガーに
興味が沸いて、いろいろと調べてみました。
彼が幼いころの夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることだったそうです。
しかし、6歳のころに事件が起きます。
彼は6歳の時に大好きな機関車を見に行って、
その機関車の下敷きになり、右腕を根元からなくしてしまったそうです。
泣き叫ぶピートに、父親は「諦めるな、諦めるな」
と言い続けたそうです。
そして、彼は父の言葉を胸に、とにかく必死で練習をしたそうです。
草野球チームでは一度も練習に参加させてもらえませんでしたが、
毎日、文句を言わずに球拾いをしました。
片手で素振りをし、片手で捕球の練習をし、
野球学校にも通いました。
24歳になるまで入団テストを受けることすら断られ続けたのですが、
それでも、彼は決して諦めることはなかったそうです。
差別を受け、罵られ続けたそうです。
しかし、それでも絶対に諦めなかったピートは、
24歳の時、ようやくニューヨークのセミプロ球団から声をかけられました。
そして、これを契機に、相次ぐ大抜擢をうけ、
夢であるメジャーリーガーとなったわけです。
いかがでしょうか?
私はピート選手のことを調べれば調べるほどに、
本当に大きな感動と、胸の高鳴りを覚えました。
「私は何を躊躇しているのだろう?」
自分の可能性を自分で閉ざしているだけなのではないか…
そう考えさせられました。
【諦めない】という強い思いの力を、
改めて思い知らされた瞬間でした。
ピート選手の父は、当時をこう記しています。
「あの時、もしも彼から、野球という夢まで奪ってしまえば、
もう、彼には何も残らない。『諦めるな』と言うしか他になかった」
普通は、『諦めるな』と言われても、心の隅っこで
「どうせダメだ」「出来ないかもしれない」などと考えてしまいます。
しかしピートは、父の言葉を忘れず、
自分自身で【心の強さ】を育てたのでしょう。
ピートは87歳でその生涯を閉じますが、
亡くなる前に こう残しました。
私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、
もっとも素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような、体に生涯をもつ者にとって、練習こそが全てでした。
でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスは
わずかなものでした。
ある時こう言われたことがあります。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、
 片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
それでも諦めず、自分は常に夢に向かって練習したのです。
そうして彼は、野球殿堂いりをはたします。
その理由のひとつに、彼がバッタボックスにたっただけで、多くの少年少女に生きる知恵と勇気を・・・・・・
最後に好きな言葉を送ります。

 A winner never quit
【勝利者は常に諦めない。】

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将棋ソフト 棋士こえるか

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コンピュータ将棋が強くなり、2人のトップアマが先月行われた公開対局で、2種類の棋士ソフトに敗れた。コンピューターがプロ棋士を超えるのは、いつか。まだアマ初段レベルの囲碁ソフトにたいし、将棋は、現在アマ六段れべる。コンピューターチェスの応用として1970年時代に開発が始まり、95年にアマ初段に。チェスでは、97年に当時の世界チャンピオンがIBM製チェス専用マシーンに敗れたが、将棋のほうも、それからはコンピュウーターの性能の進歩とソフトの改良によって急速につよくなった。・・・・・我が家でもコンピュウーターの将棋にはまっている。やはりコンピューターの将棋は、大変強くて、勉強になります。

古代蓮ー2

長期投資の魅力ひろまる。

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もとは電鉄会社員。20年近いキャリアの中で、バスの運行計画ずくりや、法務などに携わった。今の会社は、2006年に投資仲間14人が資金を出し合って創業し、自ら手を挙げて代表に就いた。きっかけは意外なところにあった。電鉄時代、教職員を中心に、科学の楽しさを子供たちにつたえるNPO法人に参加した。01年ごろメンバーの一人が投資信託を取り扱う独立系の会社の存在を知り、仲間内で投資の勉強会を始めた。その投資信託会社は、短期的な売買で利ざやをかせぐのではなく、投資先の成長を見守りながら、何年もかけて、財産を増やす長期投資を目標にかかげた。「社会に必要なモノやサービスを提供する会社を応援しながら、自分の大切な財産を増やしていけるところ」に興味をひかれたという。次第に、自分たちも長期投資の投信会社を作りたいという思いがつよまった。NPO法人の仲間が自然発生的に参加したため、実際に設立してみると出資者14人のうち11人は、元・現職の教職員という異色の構成になた。社名には「投資活動を通じて経済・社会をしることをたのしもう」という意味をこめた。今年4月には創業初の投信「らくちんファンド」の運用を始めた。金融機関を通さず、口コミで投資を呼びかける。「投信に関係が薄い人たちに、長期投資の魅力を伝えたい」と声を弾ませた。・・・・2008 6月23日読売新聞一部抜粋


学校4万8000棟耐震不足

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全国の公立小中学校の校舎や体育館のうち、震度6強の地震で倒壊する危険性が高く、早急に整備が必要な施設が1万656棟に上ることが20日、文部科学省の推計でわかった。これも含め4万7949棟が耐震性が不十分で、全国平均の耐震率は、62.3%であった。危険性の高い施設を都道府県別でみると、最多の大阪1045棟に上り、北海道は605棟、埼玉が524棟などと上位5道府県全体の30%近くを占め、自治体ごとに耐震化の進み具合におおきな開きがあることがわっかった。・・・・・2008年6月21日(読売新聞 一部抜粋)
建築をになう自分自身としては、建物の長期は元より短期の許容応力度の建築基準法、改定の必要性があると考えます。

シニア仕様ネット環境

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パソコン挑戦するシニア世代むけ、操作のしやすさや画面の見やすさに配慮したサービスが充実してきた。半導体大手インテルは、今年一月、インターネットサービス「アラカイネット」http://www.arakainet.comを開始した。インターネットからダウンロード(取り込みする)無料のソフトウエアだ。ニュ−スや電子メール一覧、写真、アルバム日記など、シニア世代にとって使用頻度の高い9種類の機能表示する大きなアイコン(絵記号)が並ぶ。クリック一つで起動して文字も大きい。また、利用者と同世代でパソコンに詳しいボランティアが簡単な使かいかたの相談にメールで応じるのも特徴だ。ソフトウェア最大の大手のマイクロそふと、電子マネー「エディ」を発行。運営するビットワレッドと共同で「誰にも優しいパソコンとウェブサイトに関する提言」を発表。シニアのIT活用に詳しい多摩大学総合研究所の松本准教授は「企業がシニア世代の動向を粒さに見て、多様な情報を受発信できるネット環境を整えていくことはしにあ世代世代の生活の充実にもつながるはず」と話す・・・・・・・・・・・2008年6月17日一部抜粋

大日如来・・・14億で落札

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dainitinyorai
ニューヨークの競売で、約14億円で落札された運慶作とみられる大日如来像が10日、東京・上野の国立博物で公開が始まった。2004年運慶作の可能性が高いといちずけた清泉女子大の山本教授は、内覧会で、「ここで再び見る事が出来てよかった。写真でみるより、いい仏像なのです」と語った。今年度の展示は7月6日まで。

運慶
運慶(うんけい、- 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、平安時代末期、鎌倉時代初期に活動し
[編集] 経歴

東大寺金剛力士像運慶は、奈良市・興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子である。長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。

運慶の現存最古作は、安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺の大日如来像である。寿永2年(1183年)には、以前から計画していた法華経の書写を完成した。この法華経は現在「運慶願経」と呼ばれている(京都・真正極楽寺蔵および個人像、国宝)。経の奥書には、後に仏師として活躍することの知られる者を含む、名に「慶」字を用いる結縁者名が記されている。このことから、奈良仏師の中で、康慶の一門が「慶派」と呼ぶべき一派を成していたことがわかる。

治承4年(1180年)に平家の兵火により、奈良の東大寺・興福寺が焼亡する。興福寺の再興造像は、円派、院派と呼ばれる京都仏師と、康慶・運慶らの属する奈良仏師とが分担した。当時の中央造仏界での勢力にしたがい、円派・院派のほうが金堂・講堂のような主要堂塔の造像を担当することとなり、奈良仏師では康慶が南円堂の本尊を担当し、本家筋にあたる成朝は食堂の本尊を担当することとなった。

成朝は、なぜか食堂本尊の造像に専念せず、文治元年(1185年)に源頼朝の勝長寿院本尊を造るため鎌倉に下向した。 一方、運慶は文治2年(1186年)正月に興福寺西金堂本尊釈迦如来像を完成したあと、成朝の動向に連続するかのように、鎌倉幕府関係の仕事を開始する。その年5月3日には、北条時政発願の静岡県伊豆の国市・願成就院の阿弥陀如来像、不動明王及び二童子像、毘沙門天像を造り始めている。またその3年後、文治5年(1189年)には、和田義盛発願の神奈川県横須賀市・浄楽寺の阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像を造っている。

願成就院の仏像は、平安時代後期の仏像とは隔絶した、めざましい作風を示している。平安後期に都でもてはやされた定朝様(じょうちょうよう)の仏像は、浅く平行して流れる衣文、円満で穏やかな表情、浅い肉付けに特色があり、平安貴族の好みを反映したものであったが、分業制で同じような仏像を量産した結果、無個性でマンネリ化した作風に陥っていた。対して運慶の作風は、仏像の男性的な表情、変化に富んだ衣文、量感に富む力強い体躯などに特色があり、こうした作風が東国武士の好みに合致したものと推察される。運慶は、奈良に当時多く残っていた仏像の古典作品を研究し、独自の作風を切り開いたものであろう。それが願成就院諸像で開花したのは、定朝様の規範に制約されない、東国の武士発願の造像であったからと理解される。

建久7年(1196年)には康慶、快慶、定覚らとともに東大寺大仏の両脇侍像と四天王像の造立という大仕事に携わるが、これらの像はその後大仏殿とともに焼失して現存しない。現存する大作としては建仁3年(1203年)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像を挙げねばならない。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いてわずか2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられている。 承元2年(1208年)から建暦2年(1212年)にかけては、一門の仏師を率いて、興福寺北円堂の本尊弥勒仏坐像と、無著・世親像を造っている。殊に無著・世親像は肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作に数えられている。

最晩年の運慶の仕事は、源実朝・北条政子・北条義時など、鎌倉幕府要人の関係に限られている。その中で、建保4年(1216)には、実朝の養育係であった大弐局が発願した、神奈川・称名寺光明院大威徳明王像を造った。


[編集] 作品

世親菩薩立像 
無著菩薩立像 運慶の作と称されている仏像は日本各地にきわめて多い(特に仁王像に多い)が、銘記、像内納入品、信頼できる史料等から運慶の真作と確認されている作品は少ない。以下は運慶ないし運慶工房の真作として学界にほぼ異論のないものである。

奈良・円成寺 大日如来坐像(国宝) - 安元2年(1176年)
静岡・願成就院 阿弥陀如来坐像、不動明王及び二童子立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治2年(1186年)
神奈川・浄楽寺 阿弥陀三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治5年(1189年)
奈良・東大寺南大門 金剛力士立像(国宝) - 建仁3年(1203年)。運慶が中心となり、快慶、定覚、湛慶ら一門の仏師を率いて制作。
奈良・興福寺北円堂 弥勒仏坐像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと源慶らが制作。
奈良・興福寺北円堂 無著菩薩・世親菩薩立像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと運助、運賀らが制作。
神奈川・称名寺光明院 大威徳明王像(重要文化財) − 建保4年(1216年)

[編集] 運慶作と推定される作品
作風、納入品、伝来などから運慶ないし運慶工房作であることが強く推定される作品として次のものがある。

奈良・興福寺 木造仏頭(重要文化財) - 文治2年(1186年)。興福寺西金堂(廃絶)旧本尊・釈迦如来像頭部。
和歌山・金剛峯寺 八大童子立像(国宝)-建久8年(1197年)
京都・六波羅蜜寺 地蔵菩薩坐像(重要文化財)
栃木・光得寺 大日如来坐像(重要文化財)
愛知・滝山寺 聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(重要文化財)-建仁元年(1201年)
東京・宗教法人真如苑蔵 大日如来坐像 - 2008年に真如苑が入手するまでは個人蔵で、2003年から2007年にかけて東京国立博物館に寄託されていた[1]。『鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第』に見える、樺崎寺安置の厨子に建久4年(1193年)銘のあった大日如来像に当たるもので、その作風やX線写真によって知られる像内納入品の状況から運慶作品と推定する説がある。[2]。

[編集] 運慶作とする説がある作品
奈良・東大寺俊乗堂 俊乗上人(俊乗房重源)坐像(国宝) - 造像に関する直接の史料がないが、その作風から運慶の作とする見方がある。
奈良・興福寺南円堂 四天王立像(国宝) 本来の安置堂宇について諸説があるが、興福寺北円堂の旧像とする説がある。とすれば、運慶指揮下に運慶子息4人が分担して(持国天−湛慶、増長天−康運、広目天−康弁、多聞天−康勝)制作した像に該当することになる。[3]

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スラム 闇が包む建築美

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「コロッサル・ニュース」は、映画であるのと同時に、実は、建築そのものではないか。拝啓に建築が映っているのでなく、もっと直接的、常に建築の中にあるように感じられる。それはペドロ・コスタの空間が「闇」を前提としているからだ。この闇があたかも厚みのある物質のように存在することである。人間も事物も建築も、なにもかもが「闇」を素材とした物質であり、光はむしろ、その存在かすかにしらせてくれる痕跡なのだ。・・・・・・まさしくサウンド・オブ・サイレンス的世界
ぼくのテーマソングが・・・・・・
全米1位・・・・・・・ サウンド・オブ・サイレンス

ハロー ぼくの古い友達 暗闇よ
また君と話にきてしまった
ボンヤリした幻影ががそっとやってきて
ぼくが眠っている間にその種をおいていった
そのまぼろしはぼくの意識に宿り
今も静寂の音の中で動かない

安らぎのなき夢をまどろみながら
玉石をしきつめた狭い道を一人歩いた
街灯のほの明かりの下を
冷気と湿気に衿をたてて
ネオン・ライトの閃光がぼくの眼を射るとき
夜は引き裂かれ ぼくは静寂の音に触れる

裸電球の明かりの中にぼくは見た
1万人か、もっと沢山の人々を
話すことなくしゃべり
耳をかたむけることなく聞き
けして歌われることのない詩を書く人々を
誰も静寂の音を呼び覚まそうとはしない

「おろかもの!」とぼくは言った
「君たちは何もわかっていないのだ、がんのように身体をむしばむ静寂を」
「君に教えるぼくの言葉を聴くのだ、君にさしのべるぼくの腕をとるのだ」
だけどぼくの言葉は、音もなくおちていく雨の雫 
そして静寂の井戸の中で木霊するだけ

ぼくの意識の中に宿ったもの
それが笹リンドウかもしれない



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