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めざせ、理想のささりんどう

福祉社会

さくらの会ホームページ


【鴻巣市さくらの会】




鴻巣市さくらの会のホームページ、無料、ジンドウで作成したが、毎日アクセスしても全然検索エンジンにひかかってこない。難病患者の会なのでお金がない。やっぱりSEO対策でグーグルサーチコンソールに登録しないとだめかなあ。何か【ドメイン】 買わないと登録できないみたいだなあ。ううん経費がかかる。エックスサーバー
も必要だ。ホームページ作りましたのでアクセスよろしくお願いします。



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6月19日全国パーキンソン病若年部と6月20日全国卓球大会

仲間を作る目的で参加しました。兵庫県のあけびの会に感動しました。自分の心の仲にある理想郷にちかいなあと思いました。交流会では、奈良県のAさんと和歌山県のYUさんとおはなしをしました。やっぱり全国パーキンソン病友の会に入ってない人は、入ってほしいと思います。特定疾患の国会請願は、先人の成果のたまものだと思います。20日の卓球大会は、さんざんな結果でした。やっぱり練習しないとだめですよね。

熊谷保健所主催パーキンソン病患者家族の集い

河田先生吉田さん
平成22年9月29日(水)に熊谷保健所で河田先生の医療講演会を行いました。埼玉県パーキンソン病友の会から3人助言者として参加しました。助言の主な内容は、言葉がでにくいので会話に困る。薬の飲み方で工夫している事。幻覚がでる。筋力がよわくなった。日常のリハビリについて。気持ちが落ち込む。元気に過ごすために日常生活こころがけていること。などいろいろありました。参加人数は、70人位いました。

保健所

昨日は、パーキンソン病友の会の副会長さんと事務局長さんと私の三人で鴻巣市、加須市、熊谷市の保健所に挨拶にいってきました。今までの友の会の活動をたたき台にして、今後、保健所を中心に神経難病患者とどのような活動をするかを協議してきました。どこの保健所でもたいへん協力的でした。深く敬意を表したいとおもいます。それと4月24日の「新緑のコンサート」DVDができました。欲しい人がいらしゃれば、下記に郵便番号、住所、氏名、電話番号をお書きの上、「新緑のコンサート」と明記し、FAX&TEL 0485−96−4748まで連絡下さい。値段の方は現在理事会で検討中です。2枚1セットで一応1000円(内500円は友の会活動費)にしたいと考えています。
注意:DVDプレーヤでは、ソフトが違うため見れません。普通のパソコンなら見れます。普通のパソコンでも見れない場合は、インターネットからゴムプレーヤをインスツールして下さい。これは無料のソフトです。



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平成22年4月24日(土)の件

4月24日の件
玄関立て看板ポスター
上記の資料を持って、今日、熊谷の保健所、熊谷市役所(障害福祉課)、熊谷女子高校、熊谷市立文化センター文化会館へ行って資料を手渡してきました。4月24日(土)の琴、バイオリン、チェロ、ピアノの4重奏の企画の件です。後は、玄関用立看板、舞台上吊看板の件、B3サイズのポスター、グランドピアノを借りるのに5000円かかる(理事会承認をとる)、司会台、照明器具、録音の関係、マイク等決めることはまだまだある。やっと半分まできた感じです。曲目は、プロに任せたほうが良いというのが、理事会の大多数の意見だ。合唱有りなので、聞きに来てくれる人も参加できる。
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パーキンソン病について〜疾患の理解と療養のポイント

林先生緑化センター
本日、熊谷緑化センターにおいて、埼玉県難病相談・支援センター主催で総合太田病院 神経内科医の林 健先生の医療講演会があった。午後1時30分から4時くらいまで、およそ2時間30分という時間でおこなわれた。内容は、前半林先生の講演(パーキンソン病について〜疾患の理解と療養のポイントについて)で、後半は、ピアカウンセリングということで、わたしもカウンセラーの一人として参加しました。カウンセラーのプロフィールとして自分の病歴が、「診断がついて12年5ヶ月。発病当初は、左足をずるように歩く。体が疲れると左手が震えた。自分でもおかしいと思い病院に行く前、自分で調べてパーキンソン病に似ているなと思った。一ヶ月入院して精密検査をした結果やっぱりパーキンソンと診断された。これが原因で会社を首になった。退院してすぐまた、仕事をはじめたが会社を転々とした。その間だいたい10年くらいメネシット、シンメトラル、カバサール、セレギニン(FP)を飲み続けて仕事をした。2年前、薬の副作用(幻覚、幻聴)がでて、夜熟睡できず、すくみ足がひどく歩けなくなった。半年入院した。パーキンソン病の薬をメネシット、一日4錠、ビシーフロール一日3錠、エグゼグラン一日1錠の3種類に変えた。病院では歩行器をもっていないとたっていられなかった。入院中自分自身でももの筋肉をリハビリした。結果歩けるようになった。今現在、週二日、東京都中野区にある全国パーキンソン病友の会事務局の事務局員。就職活動中。」と書面で紹介された。
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秩父保健所 神経難病患者さんの交流会

秩父保険所秩父保険所−3秩父保険所−5秩父保険所
体を動かして寒い冬を乗り切ろう!写真は、iPod shuffle型 ビデオカメラ&カメラ&mp3プレーヤーで撮りました。写真の撮り方がへたくそで少しまがってしまいました。ちなみに写真は、秩父保健所と大会議室と秩父駅(秩父鉄道)メイン通りの町並みをとりました。普段使われていない筋肉を動かすなど、たいへん参考になりました。これを毎日少しずつ実行していきたいとおもいます。画像をクイックすると拡大して字が読めます。


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埼玉県パーキンソン友の会(1月の障難協の件)

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先月の理事会で、県主催の障難協の場所取りの役目がまわってきた。一応、熊谷文化センター文化会館の大ホール(500人)、講師の先生は、神経内科のH先生にお願いすることになった。日にちは、第一希望が1月23日(土)、第二希望が1月30日(土)、第三希望が1月31日(日)だが、H先生は、土曜日は仕事で、日曜日は当直だとの情報が理事のOさんから入った。一応、この三日間は、仮押さえをしたが、他で本申し込みがあったら熊谷文化センター文化会館から電話をいただける事になっている。H先生との日にち時間調整がたいへんだ。熊谷文化センター文化会館は、大ホールの場合半年前から申し込みができる。
             回想録
あれからもう何年建つだろう・・・・北里メディカルセンター病院のH先生からパーキンソン病の宣告をうけてから・・・・13年位は、たっているのかもしれない。一時すくみ足がひどくて、歩けない時期もあったが、今は、週2回月曜日と木曜日に実家の鴻巣から東京都中野区まで(全国パーキンソン病友の会事務局)、電車で通えるまで回復した。そのときは、本当にもう車椅子になってしまうのかと思った。たいへんショックをうけたのを覚えている。そのころは、パーキンソン病の薬の副作用で幻覚、幻聴がひどく、精神科にも係った。統合失調症だった。半年入院した。いまでもパーキンソン病の薬と統合失調症の薬をのんでいる。一日にするとたいへんな量の薬である。自分自身、まだ車椅子は、抵抗があったので、自分で足の筋肉を鍛えた。とくに膝がガクガクするので、ももの筋肉を徹底的に鍛えた。そして今は、すくみあしで転ぶということはなくなった。その反面薬の飲みすぎもあるとおもいますが、どもりが、以前よりひどくなった。今は、電話でもなるべく大きな声で話すことを心がけている

今日の反省

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全国パーキンソン病の三役会議の議事録を著作権者の同意を得ずにブログにのせてしまいました。その結果、関係者の方々に多大な迷惑をおかけしました。深く反省しています。身体問題になった場合は、全国パーキンソン病友の会事務局員の職をおります。すいませんでした。

熊谷次郎直実

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平家物語:敦盛最期 朗読mp3

今年も秋、熊谷の交流会の企画、運営を考えなくてはならない時期にきました。一応去年は、秋の空をプラネタリュ−ムを企画しましたが、今度は、夏の星座をみるか、それとも読書の秋ということで、平家物語の朗読をやるか・・・考え中です。場所は熊谷の文化センター文化会館で行います。
熊谷次郎直実
さる程に、一ノ谷の戦いに破れた平家の公達らが、沖の助け船目指して、ぞくぞくと、落ち延びて行きます。武蔵の国住人・熊谷次郎直実、”落ち行く平家勢の中の、あっ晴れ良い大将と組討ちせん”と、渚の小道を駆けていました。

 ふっと見ると、練貫に鶴をあしらった直垂に、萌葱匂の鎧着て、鍬形打ったる冑の緒を締め、金作の太刀を差して、24本入りの切斑の矢を背中に負い、滋藤の弓を小脇に抱えて、連銭蘆毛の馬に、金覆輪の鞍を置いて、(注1)これにうち乗った武者が一騎、沖の船を目指して、海にさっと打ち入れ、五,六段ばかり泳がせております。
 
 熊谷、「あれは如何に、よき大将軍と見受けたり。見苦しきかな、敵に後ろを見せるとは。返えさせ給えや」と、扇をあげて差し招きました。(写真)

 招かれた武者が取って返して、渚へ上がらんとする所へ、熊谷、波打ち際に馬を押し並べて、むんずと組むと、二人は二頭の馬の間にどっと落ちました。熊谷が武者を取って押さえて、その首掻かんと、甲を押し上げて見ますと、薄化粧して、鉄漿(おはぐろ(注2))を付けた、我が子・小次郎の年頃にて、十五,六才ばかりの、容貌まことに美麗な若武者です。
 
 「そもそも、貴方様は、如何なる御方におはします。御名をお聞かせ下され。その命、御助け致そう」、と申しますと、
 「かく申す、そなたは誰そ」

 「物の数では有りませぬが、拙者は、武蔵の国の住人・熊谷次郎直実と申します」
 「そうか、ならば、そなたには名を名乗るまい。但し、そなたにとっては良き敵ぞ。名を名乗らずとも、この首取って人に問え、知らぬ者は有るまい」
 
 「天晴れなる、その物言い。これぞ真の大将軍におはします。この大将を討ち取ったとて、負ける戦さに勝てるはずも無し、また、御助け申したとしても、勝つべき戦さに負ける事は余もあらじ。今朝も、一の谷にて、我が子の小次郎が浅傷負うたのさえ、この直実、あれ程狼狽えたではないか。
 
 もし、若武者の父が、この子討たれたと聞けば、いかばかり、嘆き悲しむことであろう。よし、この命、お助け申そう」と、直実が心に決めて、後を振り返りますと、土肥実平・梶原景季ら、源氏勢五十数騎が出で来たりました。

 熊谷、涙をはらはらと流して、
 「あれを御覧なされ。貴方様を如何にもして、お助けせんと思いましたが、味方の軍勢雲霞(うんか・注3)のごとく満ち満ちて、とても御逃し申す事は叶いませぬ。この上は、同じ事なら、この直実が手に掛けて、貴方様の、その後の供養を仕りましょう」
 「ただ、如何様にも、早く、この首取れ」

 熊谷、余りのいとおしさに、振り上げた太刀を何処へ振り下ろして良いのやら、目もくらみ心も消え入りそうで、しばらくは前後不覚にとなっていましたが、何時までもそうしている訳にも参りません。泣く泣く首を掻き落としたのです。
 
 「ああ、弓矢取る身ほど、口惜しい事はなし。武芸の家に生まれなかったならば、かかる憂き目は見ずにいたものを。情け無う、首討ったるものかな」と、袖に顔を押し当てて、さめざめと泣いていました。

 その首を包まんとて、鎧直垂(よろいひたたれ)を解いて見ますと、錦の袋に入った笛が、若武者の腰に差してあります。
 
 「嗚呼、おいたわしや。この暁に、城の内にて管弦遊ばされていたのは、これらが御方達であったか。今、東国の勢は何万余騎居るが、戦さの陣へ笛を持ち来る者はまず居まい。公達の何と優さしい心根よ」

 その笛を、大将の源九郎義経にお見せして、若き公達の天晴れな最期を涙ながらに語りますと、回りの者皆、鎧の袖を絞らぬ者は居ませんでした。

 後に分かったことですが、この御方は修理太夫経盛の子・大夫敦盛と申して、今年17才になられたと言うことです。(注4)
 
  これよりしてこそ、熊谷次郎直実は、仏心を抱きました。
 
 無冠の太夫敦盛が、所持していた笛は、祖父の忠盛が鳥羽天皇から賜ったもので、父の経盛がそれを預かり、笛が名手の敦盛に持たせたもので、名を”小枝”(さえだ)と申します。
 
 狂言を見てさえ発心する人がいるとは申しながら、この笛が直実の出家の原因となったとは、何と哀れな話では有りませぬか。


(注1)・練貫(ねりぎぬ)・・・生糸を縦糸に、練糸を横糸に編んだ織物。
     ・鶴をあしらった直垂(ひたたれ)・・・袖に絞りのある衣服で、鶴の紋様をあしらった物。
     ・萌葱匂(もよぎにおい)の鎧・・・黄と青の中間色・薄緑をしたヨロイ。
     ・鍬形(くわがた)打ったる冑・・・クワガタムシの角に似た飾を付けたカブト。
     ・金作(こがねづくり)の太刀・・・金のメッキの金具で装飾した刀。     
     ・切斑(きりふ)の矢・・・タカの白黒まだらの尾羽で作った矢。
     ・滋藤(しげどう)の弓・・・幹を黒塗りにして、その上を藤の蔓で巻いた弓。
     ・連銭蘆毛れんぜんあしげ)の馬・・・白に黒・濃褐色が混ざった毛に、銭型の紋様が入った馬。
     ・金覆輪(きんぷくりん)の鞍・・・縁を金や金色の金具で覆い飾った鞍。
 (注2)・鉄漿(おはぐろ)・・・・鉄分を酢に溶かした液で、黒く染めた歯。当時の公家衆のみだしなみ。その後、女性が結婚した証に、歯を黒く染めるようになりました。田舎では、昭和のはじめまで、この風習は残っていました。
 (注3) 雲霞(うんか)・・・・・・数のたとえ・無数のものが押し寄せる様子を、雲やかすみに例えた言葉。
 (注4) 大夫(たいふ)・・・位階で、五位の位の人。
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